ものさしが一本しかないと、苦しくなります

稽古場にいらっしゃる方に生きづらさを抱えた方が多いと感じています。

わたしもそうでした。
意図していないことで誤解されたり、会ったこともない人に勝手に決めつけられたり。若いころは自分が悪いのだろうかと思ってずいぶん落ち込みました。

今日はその話と琵琶の稽古の話を少しだけつなげて書いてみます。

苦しいのはものさしが一本しかないからです

苦しいときたいてい、ものさしが一本しかありません。

「普通はこうするもの」「こうでなければいけない」。
その一本で自分を測るから合わない自分が間違っているように思えてしまう。

ものさしを捨てる必要はありません。もう一本、別のものさしを持ってみる。
それだけでずいぶん息がしやすくなります。

わたしにとってそれが琵琶でした。

琵琶にはふつうの音楽のものさしが通じません

ここからが本題です。

琵琶を始めた方が、最初にびっくりするのはここだと思います。
西洋音楽の常識が、ほとんど通りません。

  • 譜面はメモ程度です。五線譜のようにそこに全部書いてあるわけではありません
  • 休符もテンポもピッチも書きません。書く習慣そのものがありません
  • 歌詞は時と場合によって切り貼りしますし省くこともあります
  • そのうえでいちばん大事なのは呼吸が途切れないことです

楽譜どおりに正確にという世界から来た方ほど戸惑われます。
「では何を頼りに弾けばいいのですか」と聞かれます。

頼りにするのは自分の呼吸と、相手の呼吸です。
音源や譜面が絶対であれば歌詞を切り貼りするなんてことは起こりません。そうではない音楽なのです。

これが正しくて西洋音楽が間違っている、という話ではありません。
まったく違うものさしが、現にここにあるという話です。

「違う」と思ったものをいったん受け取ってみる

琵琶の稽古はその繰り返しです。

自分の中にない考え方に出会ったとき自分のものさしで測って切り捨てるのではなく「ああ、こういう考え方をするのだな」といったん受け取ってみる。

これは稽古場の外でも効きます。
人と合わないとき相手を間違いだと決めるのをやめてものさしが違うだけだと思えるとだいぶ楽になります。

合わせなさい、という話ではありません。受け取ってから置いておけばいいのです。

稽古は自分と向き合う時間です

もうひとつ。稽古は自分を細かく見る時間になります。

わたしは自分の耳の記憶をまったく信用していません。ですので必ず録音を聞いて譜面に自分で書き込みます。お弟子さんにもそうお願いしています。

  • 自分だけが分かればいいのできれいに書く必要はありません
  • ぐちゃぐちゃになったら書き直すか、原本のコピーをもらえばいい
  • とにかく、汚していい。書くことのほうが大事です

わたしは記憶の仕方が少し変わっているようで映像で覚えます。お名刺をいただくと、その紙の見た目とお顔がセットで残っています。そのかわり、耳で何度言われても右から左です。
同じような方はなおさら書いて覚えるのをおすすめします。

こうして「今日はここができた」「ここがまだ」と数えていると自分の手の内が少しずつ分かってきます。
自分がどういう人間なのか、わたしたちは案外知りません。稽古はそれを知る時間でもあります。

ただし治すためのものではありません

ここははっきり書いておきます。

琵琶の稽古は生きづらさを治すためのものではありません。
心を整えるための方法として作られたものでもありません。

稽古場でやっているのは、上手くなるための稽古です。できないところを言われ、持ち帰って繰り返しまた見てもらう。それだけです。

ただそれを続けていると——
自分のものさしが一本増えて人と比べる時間が減ってできるようになったことが積み上がっていく。結果として、少し楽になることがあります。

順番を逆にはしません。楽になるために稽古するのではなく稽古をしていたら楽になっていた。わたしの場合はそうでした。

面倒なことのほうに大事なものがあります

自分を知るのは少し怖いことです。書き留めるのも面倒です。

でも人生で大事なことは、たいてい面倒ではないでしょうか。
人との関係も仕事もどうしても成し遂げたいことも。

全員に必要なものではありません。琵琶がなくてもちゃんと生きている方はいくらでもいます。
ただ何かひとつ、自分の人生の真ん中に置けるものが欲しいと思っている方には琵琶の稽古は向いていると思います。

普通でなくてもいいのだと、わたしは琵琶に教わりました。
好きなことが人生の真ん中にある。そのことに誇りを持っていたいと思っています。

ビワビワ。

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