教科書にも載っているし日本人なら誰でも知っているよね
琵琶で習うことはできるのかな?
意外なようですが、薩摩・筑前琵琶では実は戦後からたくさん演奏されるようになったんですよ
日本人なら誰でも耳にしたことがある「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」というフレーズ。
今はどの流派も演奏していて、学校公演などでもリクエストが多い『祇園精舎』の一節。
でも実際
祇園精舎ってどこ?
鐘ってどんな鐘?
など私たちは知らないことばかりです。
この物語を知るには、『平家物語』の内容と、それの背景にある「仏教」について知る必要があります。
ひとつひとつ見ていきましょう。
【平家物語】「祇園精舎」を薩摩琵琶で習おう
1『平家物語』とは何を描いた作品なのか?
『平家物語』は、鎌倉時代に成立したとされる軍記物語で、平家の栄華と没落、武士階級の台頭などを描いた。
保元の乱および平治の乱に勝利した平家と敗れた源家の対照的な姿、その後の源平の戦いから平家の滅亡、そして没落しはじめた平安貴族と新たに台頭した武士たちの人間模様などを描いた。「祇園精舎の鐘の声……」の有名な書き出しでも広く知られている。
wikipediaより
『平家物語』は、平清盛が栄えて滅んでいく様を人々にスポットを当てながら見ていく物語です。
「祇園精舎」全文を書き出すと、少し長いのですが、ここに教科書に載っていない部分も記します。
覚一本をお持ちの方はそちらをご覧くださいね。
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の祿山、これらは皆舊主先皇の政にもしたがはず、樂しみをきはめ、諌めをも思ひ入れず、天下の亂れん事を悟らずして、民間の愁ふるところを知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。
近く本朝をうかがふに、承平の將門、天慶の純友、康和の義親、平治の信賴、これらはおごれる心もたけき事も、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは六波羅の入道、前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人のありさま、傳へ承るこそ心もことばも及ばれね。
その先祖を尋ぬれば桓武天皇第五の皇子、一品式部卿葛原親王九代の後胤、讃岐守正盛が孫、刑部卿忠盛の嫡男なり。かの親王の御子高見王無官無位にして失せ給ひぬ。その御子高望王の時、初めて平の姓を賜はつて上総介に成り給ひしよりたちまちに王氏を出でて人臣に列なる、その子鎮守府将軍良望後には國香と改む、國香より正盛に至る六代は、諸国の受領たりしかども、殿上の仙籍をば未だ赦されず。
「遠く遠く異朝をとぶらへば」の後は、中国の最低な皇帝の家臣の例をあげています。
自分が楽しむことばかりで、民のことを考えずに国が荒れてしまった…と具体例をあげているわけです。
「近く本朝をうかがふに」のあとが、日本のこと。
平安時代あたりにおこった海賊による事件、狼藉を働き官物を奪取するなどして朝廷に対しても反抗的な態度を取り続けた事件についてあげています。
その最も直近で悪いヤツ=平清盛(六波羅の入道) と書いてあります(笑)
天皇の立場を利用し、自分も天皇と同等の位につこうとした大悪人…といえばよいでしょうか。
2「祇園精舎」はどこなのか?
「祇園精舎」とは、祇園に建てられた精舎、ということを表わします。
平家物語の平家たちが住んでいた京都の祇園と思い浮かべる方も多いかもしれませんが、これはインドの話です。
「祇園」とは、約2,600年前、インドのコーサラ国(拘薩羅国)の祇多太子が所有していた林で、祇樹(ともいいます。
「精舎」とはお寺を意味し、祇園精舎は、ブッダが説法した代表的なお寺のことです。
正式には祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)です。
5世紀初め、中国からインドへわたった三蔵法師、法顕の『法顕伝(仏国記)』によれば、「コーサラ国の首都の舎衛城の南門から南へ1,200歩のところ」にあったといわれています。
門の左右に柱があり、周囲にある池は清らかで樹木が生い茂りたくさんの花々咲いていたそうです。
ところが7世紀の三蔵法師、玄奘の『西域記』によれば、城の南5~6里にあたりのところに祇園精舎があったそうですが、すでに荒廃していたとあります。
仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶を指す尊称で、一般名詞ですよ
だからたくさんの三蔵法師がいても変ではないですよ
3祇園精舎の鐘の意味は何なのか?
この祇園精舎には「無常堂」という建物があり、祇園精舎で修業した僧侶が病気や高齢で死を待つ場所でした。
このお堂の四隅には小さな水晶の鐘があり、息を引き取ると一斉にその水晶が鳴りました。
この澄んだ音色を聞いた人たちは『涅槃経』というお経に示されている「無常偈(むじょうげ)」を感じ、苦しみが取り除かれた浄土へ生まれ変わる準備をしたといわれています。
つまり、「祇園精舎…」の一説は、『平家物語』全体に流れる仏教思想の考えかたを表わしています。
平清盛が生きた平安時代後期は、「末法思想」といわれる考え方が一般化していました。
4『平家物語』と末法思想
6世紀に仏教が日本に伝来し、聖武天皇が大仏建立などをし、仏教は国の宗教として発展してきました。
しかし、日本に入ってきて仏教が浸透したころは、仏教でいう「末法思想」の時代に突入していたのです。
~500年 正しい仏法の行われる正法の時代~1,000年 正しい修行を行えず、悟りを開く者のない像法の時代
という考えです。
だんだんと釈迦の教えが形骸化して、救いのない世の中になっていくという考えは、のちの鎌倉新仏教につながっていくのですが、日本では1052年を末法元年とする説が流行していました。
壇の浦の戦いが1185年なので、末法から130年くらいたっていて、当時のイメージだと自分たちが生きている世の中=救いのない最悪の世の中ですね…
そんな時代に、天皇家に娘を嫁がせて天皇家とつながりをもち、武家の身分から出世した平清盛の栄華と転落の人生と照らし合わせていくとめちゃくちゃ考えさせられるところがある物語なのです。
これ、自分も薩摩琵琶で語れるのかな?
【平家物語】「祇園精舎」を薩摩琵琶で習おう
実際どのように習うのか?というのは、各流派によりますが、私の所属する薩摩琵琶鶴田流の場合は、「前歌」という、琵琶歌の出だしに持ってきます。
以下の青線部分ですね。
琵琶歌での前歌の意義は曲のテーマをやや抽象化して伝える部分となっています。
独立した曲というわけではなく、あくまでも出だしの部分なのでこのあとの本歌では、『敦盛』『那須与一』を続けることが多いですね。
時間の都合で短くするときは、前歌の『祇園精舎』のみを歌って、そのあとに崩れをいくつか弾いて短くしたものを演奏したりします。
また、平家琵琶に敬意を表して「盛者必衰の理をあらはす」の部分を「せいじゃひつめつ」「せいじゃひっすい」「じょうしゃひつめつ」などと一部変えて歌っています。
あくまでも平家琵琶の覚一本(テキストになっていて、今正当とされている本)の文言をそのまま使えるのは平家琵琶だけであり、薩摩琵琶は題材を変えていて平家琵琶とはまた違うものですよということを表わした、昔の人のとても清い配慮です。
誰もが知っている演目ということと、短い曲を覚えると披露する機会も増えるからです
いきなり初心者に20分の曲を教えても、披露の場がないと意味がないのでそうしています
インプット⇒アウトプットが大事です(笑) 演奏は習ってすぐにしてOK!でもちゃんと稽古してね(笑)
補足:『平家物語』を演奏するようになったのは、じつは戦後から
戦前などは、今を歌う琵琶歌がたくさん演奏されていました。
たとえば、明治期の今=西南戦争(明治10年頃)であり、薩摩琵琶系では必ずといっていいほど演奏される『城山』(勝海舟作)は当時の新曲だったわけです。
わりと同世代物の演目が多く演奏されたのは、明治~昭和にかけて戦争がいつも生活のそばにあり、近代琵琶(薩摩・筑前琵琶)の発展がちょうど戦争と同時期に行われたからという理由があります。
戦争に関する演目はどのようなものがあったのかざっと挙げてみると、以下のような感じです。
日本海開戦
橘大隊長
乃木大将
別れの国歌
嗚呼山本五十六
肉弾三勇士
ルンガ沖海戦
九軍神
…など
これを女の子とかが演奏していたっていうんだから、なんかカタルシスがあった感じだね…
しかし、戦争が終わってしまうと、同時代ものの琵琶歌が作られなくなります。
そこで、幕府解体後も検校と相伝者によって面々とつづいてきた「平家琵琶」が演奏する『平家物語』に題材を借りるようになってきたのです。
演奏レパートリーから近代戦争ものが姿を消し、往年の名人の演奏が古典作品として演奏・伝承されるようになった。一方で時代にあった作品の創作も試みられ錦琵琶の水藤錦穰が新作を発表していたし…
『日本の伝統芸能講座 音楽』より
戦後は「戦争ものの琵琶歌」が演奏されなくなり、伝統芸能として生き残る道を選んだ近代琵琶楽。
平家物語に題材をとった錦琵琶の『耳なし芳一』鶴田流の『壇の浦』も戦後の作品です。
『敦盛』『那須与一』などは戦前も演奏されていましたが、最近は薩摩・筑前琵琶でも演奏される回数が増えています。
作られた年代が新しいからといって安易に「古典じゃないじゃん」と判断するなかれ。
古典の研鑽を積んだ人が演奏する「古典の新曲」は、脈々と演奏され続けられることによって「古典」へと昇華されていくのです。
作られた時代が古い、流派が古いから正当、新しいから正当ではないという単純なもののとらえ方ではなく、古典芸能の考え方、稽古の仕方を積んでいけば「古典」を演奏することは可能です。
琵琶の世界に入るには、必ず通る『祇園精舎』という演目に触れながら、古典を感じて行っていただければ幸いです。