これはどうしてこの歌詞になったのかな?
そのことについて深堀りしていきましょう
薩摩琵琶奏者であり、明治期から戦前までの近代琵琶楽を研究しています
琵琶歴19年目
琵琶の話は誰にでもします
『君が代』が国歌となるまでの流れ
・明治13(1880)年 宮内庁雅楽課による再編とエッケルト(独)の編曲によって完成
・明治26(1893)年 儀式にはじめて使用
・昭和5(1930)年 国歌として使用
・平成11(1999)年 「国旗及び国家に関する法律」で正式に国歌として法制化
『君が代』は事実上、国歌として長く歌われてきましたが、法律的に根拠がないので平成になってから法律で定められたのは記憶に新しいですよね。
国歌に対しては色々と考えがあるかもしれませんが、薩摩琵琶がかかわっていたということを紹介します。
国歌『君が代』の制定
(島津久光公)
明治政府は、西洋諸国と対等な国民国家を形成するため、国歌を制定することとしました。
フランスであれば『ラ・マルセイエーズ』が有名ですが、国歌を象徴する曲があるのが近代国家としてあるべき姿でした。
きっかけは1869(明治2)年、イギリス公使が日本を訪問した際のこと。
イギリス公使館の軍楽隊長であったジョン・ウィリアム・フェントンから、日本は国歌を作るべきという助言があり、自ら作曲を申し出てきました。
作曲はフェントンが洋楽を基準に行い、明治政府側で歌詞を探すことになったのです。
元薩摩藩士で大山弥助(のちの大山巌)は、幼いころから聞き親しんだ薩摩琵琶古曲の『蓬莱山』のなかから「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔の蒸すまで…」を採用してフェントンに示し、翌年東京の越中島練兵場で薩摩バンドによる天覧調練(天皇がご覧になること)が行われました。
薩摩琵琶歌『蓬莱山』の歌詞は以下です。
明治期以降に量産されたいわゆる七・五調の定型句ではないのがポイントですね。
私たちがよく聞く七・五調の琵琶歌になる以前の古い形式です。
蓬莱山 (薩摩琵琶古曲/伝・島津日新斎忠良作)
目出度やな 君が恵は 久方の 光閑けき春の日に
不老門を立ち出でて 四方の景色を眺むるに 峯の小松に舞鶴棲みて 谷の小川に亀遊ぶ
君が代は 千代に 八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
命ながらえて 雨塊を破らず 風枝を鳴らさじといへば
また堯舜の 御代も斯くあらむ 斯ほどに治まる御代なれば
千草万木 花咲き実り 五穀成熟して 上には金殿楼閣 甍を並べ
下には民の竈を 厚うして 仁義正しき御代の春 蓬莱山とは是かとよ
君が代の千歳の松も 常磐色 かわらぬ御代の例には 天長地久と
国も豊かに治まりて 弓は袋に 剱は箱に蔵め置く 諫鼓苔深うして
鳥もなかなか驚くようぞ なかりける
越中島練兵場はもともと江戸幕府が講武所附縦隊調練場として砲術や武術の訓練のために使用していた場所で、明治維新後も継続して使われていました。
薩摩藩士の子供は天吹という笛か、琵琶(薩摩琵琶)をやるのが通常だったので、合奏もよくしていたんです
だからバンド型の演奏も訓練してできるようになったんですね
鹿児島は吹奏楽発祥の地ともいわれ、はじめて軍楽が流れたのも1865年の薩英戦争の英国側の演奏で、
「調練の内に音楽をも奏し、これ誠に面白く相聞こえ候由、その規則正しく、人皆感心いたし候」(『忠義公史料』第4巻)より
と大変感動した、と記されています。
ジョン・ウィリアム・フェントンが直接薩摩バンドを指導し、指導料は島津久光が自腹で支払ったとされていますが、200ドルと大変高額でした。
薩摩バンドが使用する楽器は当然西洋音楽で、輸入の必要がある舶来品…
楽器が足りなく苦戦したところ、島津忠義(久光の子)がイギリスに即発注をかけたといいます。
これぞ、バンドのパトロン!(👏)最高!
バンドの練習場所であった、横浜の妙香寺には「日本吹奏楽発祥の地」の石碑も立っていますよ!(島津忠秀の書)
『君が代』と薩摩琵琶の関係
君が代の歌詞は、他人の長寿や幸福を願う賀之歌として、古くは905年に作られた古今和歌集巻第七(344)に登場します。
わが君は千世にやちよにさざれ石の 巌となりて苔のむすまで
古今和歌集巻第七(344)(題しらず/よみひとしらず)
この場合の「わが君」は私のあなた、という意味で夫に対して使われています。
要約すると「私のあなた、ずっとずっと長生きしてね、か細い私がしっかりした岩になって苔が生えるまでね」
という意味で、当時は「君が代」は天皇の治世とは全く違う意味でした。
その後も「君が代は…」という歌はたびたび登場しています。
そのひとつの『和漢御物朗詠集』の写本にはじめて「君が代は…」の形で登場します。鎌倉時代のことです。
それまではずっと自分の主観を表す「わが君は」が主流でしたが、江戸時代になってより広義的に使用できる「君が代は」が好んで使われるようになりました。
参考図書
私の自主企画である「戦争と琵琶」で何度かご登壇いただいた辻田真佐憲先生のご著書。
切り口が斬新なので、知らないことだらけです。
「琵琶新聞」も紹介したらすぐに読んでいただけました。
他の藩とは一味違う薩摩藩の施策がわかるムック。
独特の言葉、音楽、考え方などの概要がわかります。
神田明神などで琵琶演奏と歴史講座をご一緒させていただいた安藤優一郎先生のご著書。
幕末にとても詳しく、読みやすいです。
国歌『君が代』と薩摩琵琶 まとめ
薩摩琵琶の古曲、『蓬莱山』にも取り入れられているように、「君が代は…」のフレーズは日本人にとっては、親しみがあり長い時代を経て意味や言い回しが変化してきました。
大山巌がたまたま薩摩琵琶でこの歌を聞いていたため、国歌制定に取り入れられたと言われていますが、元は平安時代から親しまれていたのですよね。
そして国歌と正式に法制定されることのないまま戦争が終了し、第二次大戦後にはGHQにより、日の丸を掲げることと『君が代』の斉唱を全面的に禁止されます。
いったん1946年の日本国憲法公布式典にて斉唱されたものの、その後は代替曲が演奏されています。
『君が代』の歌詞について、戦前教育の中心であった「国体(天皇中心の国家体制)」を称えたとして今も国歌とすべきではないという主張も多くあります。
歌うか歌わないかは個人の自由ですが、一部だけではなく琵琶歌の『蓬莱山』の歌詞も温かい目で見ていただけたら嬉しいです。
意外な歴史だったなぁ~