先生は伸びているって言ってくれるけどお世辞な気がする…
こんなお悩みに答えます。
今は15人ほどの薩摩琵琶教室を運営しています
自分でも大学受験、韓国語の習得、琵琶の稽古…といろいろトライアンドエラーを繰り返してきました
めちゃくちゃ容量が悪いので数を当たらざるを得なかったのですが・・・・😢
質より量、と思ってかなりの時間を学習に費やし、書籍も読みまくり…をしていくなかで気づいた事があるのでまとめてみます
薩摩琵琶を練習して、伸びる人と伸びない人の違い
1量をこなしていない
たとえば私が従事している薩摩琵琶の習得の場合、1年や2年の差で劇的に爆伸びするなんてことはありえません。
起きている間じゅう稽古に費やしている、という人は別ですが1日2,3時間の稽古時間で1,2年で爆伸びしてプロをしのぐほどのスキルを発揮…ということはないです。
小学校1年生が急に大学受験に通用するレベルにならないのと同じです。
ですが、やらなければ当然うまくはなりません。
上達の結果は、やっただけ右肩上がりには決してなりません。
むしろ最初の数年は横ばい、やや上達したかも?くらいのつらい状況が続くかもしれません。
しかし、やり続けた人だけがもらえるご褒美の瞬間は必ず訪れます。
そのあとは爆伸びする可能性が大きいです。
量をこなす、時間をかけることに集中してあまり周りと比べてどうか?などは考えないようにしましょう。
2最初から自分でやり方を考えている
音楽や勉強の場合、特に社会人になってから始めたら「自分は人生経験があるから、人より効率的にできるんじゃないか」と考えがちです。
実際、人生経験が豊富な人ほど今迄のキャリアで培った方法を、新しいことを学ぶ際に使いがちです。
でも、琵琶のような成長の正解がわからないような伝統芸能を学ぶ際は、全く未知のものとして接した方が伸びやすいです。
言われたことだけをやる、というのはかえって人生経験が豊富な人ほど難しいことだとは思いますが、全く別のことをやっていると思って先生の意見を素直に取り入れてみてください。
3できないことを先生のせいにしている
よほどのことがないかぎり、先生はあなたよりたった1,2年先輩であるということはありません。
大学の音楽サークルであれば、自分より1,2年先輩の人から習うということはあるかもしれませんが、大概の音楽教室、何かの勉強を「先生」として教えている人はあなたよりもずっと技術の習得や勉強に時間を費やしてきています。
その人についていて、すぐに上達しないからといって「先生を変えれば何とかなるんじゃないか」と数年で決めてしまうのは早合点です。
自分の練習方法や考え方が変わらない限り、あなたの前進はないからです。
自分を変える努力をしないまま先生を変えても、絶対また「先生を変えたほうがいいんじゃないか」と思う場面がくるでしょう。
その長い期間の間に「あれ?なにか違うな」と思っても「自分が先生の指示を受け取る能力がないんじゃないか」「自分が口出しできるほど、自分の芸ができていない」とずっと悩んでいました
その際にほかの勉強をしたり、音源を昔から調べつくしたり、流派の系譜などを調べたり、はたまた四弦の薩摩琵琶を許可を得たうえで習ったり…と色々自分の目指す方向性がわかってきました。
あれ?と思った違和感は、「結果的に先生を変えた」という判断からしたら正しかったし、その場で先生を変えていれば、別の人生もあったかもしれません。
しかし、すべては結果オーライ。
自分をしっかり見つめることができたので今は後悔はしていません。
何か不具合が起こっても人のせいにせず、自分を見つめ直したうえで改善するというスタンスが身についただけで私の人生の18年は意義のある時間でした。
もちろん、自分にとってなにが重要か、自分が目指すべき芸風はなにか決まっている人はこんな遠回りをする必要はまったくありません。
私は全く自分に判断の基準がなかったので、全部自分が悪いんだろうから自分ができないところを探して改善してから判断しよう…とやっていたら人よりも時間がかかってしまいました…。
大事なことは、自分が全てを決めているということを常に意識して人のせいにしない、ということです。
やろうと思っていた練習や勉強ができなかったのは先生のせいではなく、自分のせいなのですから。
4練習時間にムラがある
今日は1日10時間やる、来週はゼロ、では伸びる伸びない以前に、上達が測れません。
音楽練習や勉強においてよくやりがちなのですが、毎日15分でも継続する人の方が伸びます。
ダイエットや筋トレと同じですが、1日断食したから来週は食べ放題…で痩せるわけがないですよね。
それであれば平均的にカロリー3割カットの方が効果があります。
極端にやる時とやらない時の差を作らないようにし、毎日少しでも触れる時間を作れるようにしたいですね。
5練習環境にとらわれ過ぎている
練習時間は、楽器を持って静かなスタジオをとって演奏するぞ!という気合の元、すべて環境を整えたうえでやらなくては!と思いがちですが、音源を聞く、稽古の録音を聞く、同じ音楽をやっている人の演奏会を見に行く…だってじゅうぶんに稽古になります。
考え方次第で稽古時間はいくらでも時間が取れます。
環境に気張りすぎずにどこででも気軽に稽古できると考えて、練習を積み重ねてください。
手の形だけ、運指だけ、音の流れだけ何度もやるだけで全然違いますよ。
こう練習しなくてはならない!と決めつけずに、どこでも、いつでも柔軟にながら稽古をしてみてください。
塵も積もれば山となる、です。
では、具体的に音楽練習はどうすれば上達するのでしょうか?
答えは簡単です。音楽練習だけでなく、すべての勉強に使えます。
具体的な琵琶の練習の仕方
全体的視野、というのは曲全体を俯瞰して抑揚をつける視点のことで、こういう考えをしながら稽古をすることが大事です。
勉強でいえばわかりやすいかもしれませんが、縄文時代のプロよりも、古代~現代史まで網羅しないといけない状態です。
「ここを指ではじき忘れた~~」くらいの小さなことはどうでもよく全体として曲としてドラマになっているかが問題です。
それは細かい稽古と全体を見る視点の両方が必要になります。
全体を見る稽古というのはかなり難しいので、指導者の目線が必要で、独学で伝統芸能を学ぶことは無理だと私は考えています。
有名な洋楽を琵琶などの和楽器で演奏するのであれば、独学でもよいかもしれませんが、古典曲を習得するのであれば、指導者なしでは、結局我流です。
ずっと続けていくつもりであるならば、早い段階で指導者につくほうがいいでしょう。
というか、ついてください。
伝統楽器で演奏ができるのであれば、古典をやるに越したことはないですし、我流のままでは業界で重宝されることはずっとないからです。
部分的視野を持って稽古をするとは?
基本的に、日ごろ先生から受けた指導を自分が主体となって改善してくことで成果が得られます。
主に自分のことを細かく分析し、修正、実行、また修正、実行…を繰り返す作業です。
細かいやり方としては以下のようにします。
②徹底的に自分のできていないところを何度もさらいなおす
③本番で実践してみて、できているか確認する
できていなければ再びその部分を徹底的に何度もやり直す
①~③を繰り返せば徐々に演奏がよくなります。
というのも、古典芸能に関して考えると、曲全体のなかで100%ミスしないことはあり得ません。
琵琶歌に関していえば、1曲20分を一人で歌も琵琶も間を自分で作りながら演奏するのです。
ちょっとのミスタッチ(しくじり)は普通です。
細かいところではなく、全体を常に見直す必要があります。
そもそも手を間違えるくらいはミスでも何でもないと思います…(古典芸能は譜面通りに弾くものでもないので)。
まとめ
全体的視野を持った稽古と、部分的視野を持った稽古を使い分けて上達しよう
どんな人も最初から完璧に出来た人はいません。
舞台も、トライアンドエラーの繰り返しです。
こういうと、「お客様に見てもらうのに、実験か!」と怒る方がいますが、その時のベストを見せるという意味です。
前回の舞台での自分より、もっといえば昨日よりも明日のほうが進歩していないと稽古の甲斐がありません。
確実にできない部分ができるようになるために、細かく自分のできなかった部分を分析し、少しずつ改善する努力が必要です。
さらに、曲全体の抑揚をつけたり、曲をドラマチックに演出する技術は第三者の指導により得られます。
稽古法も何を克服するかによって違ってきますので、どちらかに偏らないように積み重ねていきましょう。
名人も最初からできたわけじゃないって思って、自分ももっと頑張るよ