
10月8日、東京オペラシティ リサイタルホールで演奏してまいりました。
「武満 徹 100年をこえて 〜かわるもの/かわらないもの〜」というシリーズの第1回、〈はじく〉という回です。
2030年の生誕100年に向けて、年に一度、全5回で続いていく企画のはじまりでした。
わたしが弾いたのは、武満徹《旅》〜三面の琵琶のための(1973)。
師匠・友吉鶴心、長須与佳さん、そしてわたしの3人で勤めました。
公演のチラシ(主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団)
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本番の3日前、師匠に稽古をお願いしました。
当然《旅》の稽古だと思って伺ったのですが、始まったのは——いつもどおりの古典の稽古でした。
(「俊寛」の稽古)
師匠ってやっぱりすごい~~と思いました。
本番が近いから特別なことをする、のではないのです。
現代の曲を弾くときほど、土台のほうを確かめる。そういう稽古でした。
やっていたことは、とてもはっきりしています。
お互いの音と、空気を聞いて、自分の音を出す。
合図で合わせるのではありません。
相手の呼吸を聞いて、間を感じて、そこへ自分の音を置いていく。それだけをひたすらやりました。
《旅》〜三面の琵琶のための(撮影:M. Okubo/東京オペラシティ文化財団)
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これは、自分がやってきたことと、これから行きたい道を探す旅でもあるのだと思います。
古典を積んできた自分が、どういう演奏をしたいのか。それを探す旅です。
そう思ったとき、うわああああと声が出そうになりました。(まぁたぶんめっちゃ漏れてます😂😂)
師匠にとっての初演であり、わたしにとっての初演でもあります。
武満徹という人が、この曲を琵琶に託したことの意味を少しだけ受け取れた気がしています。
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古典の基礎ができるまでは、やらない。
そう決めていたからです。
今回、それは正解だったと思いました。
古典をやっていなければ、この曲の前で立ち尽くしていたと思います。
ご指導くださっている師匠には本当に感謝しています。
ご存じのかたも多いかと思いますが、わたしが友吉先生に師事しているのはここ数年でそれ以前は15年以上違う先生についていました。
自分がこう生きたい!と思ったときに出会った友吉先生の音、楽器、間合い、呼吸すべてが鶴田先生のものだったのでどうしても師事したかったのです。
色々ありましたが、あのときに人に何を言われようが移籍してよかったなぁと思っています。
自分の人生ですから、自分がこう在りたい!に近づけるよう必死でついていけるようにしている今日この頃です。
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体力も気力も、思い切り使いました😂😂
終わってから2日ほど、まったく使いものになりませんでした。
演奏時間はたった15分なのに。
こういう舞台は、そうそうありません。
だからこそ、また弾ける自分でいられるように、明日からも淡々と古典の稽古をします。
ビワビワ~~~
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武満 徹 100年をこえて 〜かわるもの/かわらないもの〜 第1回〈はじく〉
2026年10月8日(木)19:00開演 東京オペラシティ リサイタルホール
《旅》〜三面の琵琶のための(1973) 演奏:友吉鶴心・長須与佳・水島結子
主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団/企画:小沼純一
本番の3日前、師匠の稽古は古典曲でした
この公演のことで、いちばんお伝えしたいのはここです。
これは、古典をやらないとできない曲だ。
鶴田錦史の芸は、すべて古典がベースにある。
現代曲をやるといっても、俺たちは古典の稽古をいつもどおりコツコツ淡々とやるしかない。
三面の琵琶で、していたこと
《旅》は、三面の琵琶のための作品です。 同じ楽器を3つ並べるのではなく、それぞれ違う音を出します。三面の内訳
・盲僧琵琶 1面(弓で弾きました)
・薩摩琵琶 2面
うち1面は柱を外し、棒を差して打楽器のように使います
これは、琵琶の本質そのものでした
弾きながら思いました。 これは現代曲のための特別な技術ではなく、琵琶そのものの本質だと。 琵琶は、自分の呼吸と、自分の歌の合間を、自分で伴奏する楽器です。 歌と撥のあいだにある「間」を、呼吸で埋めていきます。 ふだんは自分ひとりの中でやっていることを、三人でやる。 《旅》は、琵琶の本質をいちばん濃く取り出した作品だったのだと思います。
鶴田錦史先生の録音のこと
もうひとつ、腑に落ちたことがあります。 鶴田錦史先生は、楽譜が読めませんでした。 武満徹先生もあえて鶴田先生に西洋音楽の勉強はなさらないようにと伝えたそうです。 そして《旅》の原曲の録音は、先生がご自分の演奏を多重録音したものです。 自分の出した音を聞いて、そこへ次の音を重ねていく。 人の音を聞き、呼吸を聞くことがどれほど大事か——録音の成り立ちそのものが、それを語っていました。《旅》という題
弾き終えてから、題の意味を考えました。
現代邦楽を、あえてやってこなかった理由
わたしは長いあいだ、現代邦楽をほとんどやってきませんでした。
琵琶譜のこと
ご一緒した長須与佳さんは、洋楽を琵琶で弾くことに長けた方です。 今回、琵琶の譜に起こしてくださったのも長須さんでした。 これは大きな仕事です。譜があるから、次の人が弾けるようになりますし再現性が保たれます。 お二人とご一緒できて、本当にやってよかったと思っています✨これから、一曲ずつ
今回、現代邦楽というものを勉強させていただきました。 そのうえで思っているのは、一歩ずつ進みたいということです。 武満作品には、わたしがまだ手をつけていない曲があります。 《ノヴェンバー・ステップス》や《エクリプス》。もちろん、いつかやりたい曲です。 ただ、一曲ずつ、きちんと向き合ってからにしたい。 古典をどれだけ積めば弾いてよいのか、正解は分かりません。それでも、やたらに手を出してよい曲ではないと思っています。 自分で稽古を積んでからでなければ、やる意味がないのです。 ただ、これが鶴田流の最終奥義ではないとも同時に思っています。 昔「なぜあなたは正当な後継者なのにノヴェンバーをやらないんだ」といわれたことがあります。 この曲が最後の曲ではないのです。 いつもわたしは古典曲をきちんとやることを目指しています。 鶴田流の演奏家であれば、鶴田先生が愛した曲をそのままやる。これこそが流儀と思っています。誰と弾くかも、同じくらい大事です
ありがたいことに、「海外で《ノヴェンバー・ステップス》をやりませんか」とお声をいただくことがあります。 実績づくりにはなるのだと思います。 でも、ご一緒する方を、わたしはとても大事にしています。 「やりたい」という気持ちだけでご一緒するのは、この曲では難しいのです。 先日も、海外の尺八の方からお誘いをいただきましたが、お断りしました。 武満作品は芸は人生だということが、そのまま出る曲です。 曲に対しても、ご一緒する方に対しても、恥ずかしくない自分でいたい。 ですので、稽古を積みながら一緒に弾ける方と出会えるまで、こつこつやっていきます。そして、2日ほど使いものになりませんでした
最後に正直なところを書いておきます。




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