新年あけましておめでとうございます。
サイト更新しないままあっという間に卯年になりました。
本年もよろしくお願いいたします。
久々に私が感じている琵琶は内観ツールだよなぁと思っていることについてまとめたいと思います。
薩摩琵琶は内観ツール
最近SNSで薩摩琵琶についての考察はあまり言わなくなっていますが、
なぜかというと小難しくて煙たがられるからです(笑)
Twitterで下記のようなことをつぶやいたら1日でフォロワーが13人も減りました(笑)
その記念にまとめます。
ただ、本質はTwitterでは伝わらないから。継続すること、稽古で言われたことの意味を確認すること、琵琶を通して自分の今の感情を確認することなどは言葉にしたら簡単だけど実行するのは難しいから🙄そして人は難しいことは避けるから、私はSNSで言わなくなったのかもな🙄
— 水島結子◆琵琶奏者 (@biwayunkoro) January 1, 2023
私がSNSで薩摩琵琶についてあまり発信しなくなった理由
1 本質が伝わらず、人に難しく思われるから
人はどうしても琵琶の上達法、値段、どうやったら習えるかなどを検索する傾向にあり、
私のサイトもそのニーズに応えるべく2年前に作りました。
ですが、特に上達法などは琵琶の本質ではなく、ピラミッド状の下部にあたる問題です。
本当に大切なことは、継続すること、師から稽古で言われたことを確認すること、
稽古中の「今」の感情に向き合い、どういう時に自分が手ごたえを感じているか、
どういう時に迷いを感じているかなどを確認していくことなのです。
こんな修行のようなことを言われても大抵の人にとっては「はあ?」という感じなので、基本的に知っている曲を琵琶で弾くとかのほうが求められるし、人の目に留まりますよね。
私も15年位はそっちの方向で頑張って発信してきましたが、琵琶ってエンタメじゃないよなぁと思うようになり、割とベクトルを自己に向けて生活しております。
2 人と比較するものではないから
誰が上手いとか誰が下手とかそういうことが問題ではないのです。
「今現在」の自分が稽古を通して自分と向き合えているかが大事と考えています。
できてないからダメ、節が回らないからダメ、と短絡的に結論づけるのではなく、
できない場合、壁に当たった場合に「なんでできないんだ!」という質問を自分に投げかけるのではなく
「どうしたらできるのだろう?」という方法を模索する質問を投げかけるべきなんです。
なんでできないんだ!は単純にできないことに対する憤りや一時的な感情ですが、
どうしたらできるのだろう?は方法論の模索のスタート地点に立てます。
客観的な視点を常にもつことで、自分を保つ稽古になるのです。
琵琶を稽古する中で自分にたいしての質問の「質」を上げていくことで、様々な問題に直面した時の
解決に導けるようになっていきます。
だからこそ、自分のできること、できていないことから目を背けずに常に稽古で自らを確認する必要があります。
それゆえ、継続することが必然となってくるんですよね。
たまの稽古じゃ自分の変化に気付けませんから。
ほら、難しい話になってきた(笑)
こういう話をするとへ――(無言)で終わるんですよ(笑)
でもブログなので、読みたい方は読み進めてください(感謝)
遠かった自己と向きあうまでの道のり
私はこの考えに到達するまでにかなりの時間を要しています。
18年位かかったかな…その間、色んな民族音楽を学んでみたり、民族音楽だけでなくジャズや
洋楽とのセッション、ショーなどでのエンタメ要素多めの演奏、詩吟などの多ジャンルの芸能の勉強…
でもどれも答えが見つからなかったんです。
それはなぜか?
己と向き合っていないから表面的にしか琵琶を演奏できていなかった、んですよねーーーー
それなりに楽しくもあり、お客さまも喜んでくださっていたと思っています。
が。
琵琶「道」ではなかった。
知識としては薩摩藩士が学んだ武士の教養ということだけは分かっていましたが、どうしてもそれと自分の活動が腑に落ちなかったわけです。
コラボレーションなども、その「道」を長くやってきたもの同士がセッションをしてはじめて素晴らしい舞台となるわけで。
自分と向き合うということをしてこなかったものの舞台はそれなりです。
それを深く感じ、今の師匠に移籍をさせていただいてから私の本質を求めるベクトルがさらに
内に向いていきました。
とにかく今までのものとは違う方向で琵琶と携わっていきました。
己との対話について
己と対話することはとても勇気がいりますし、苦しい作業です。
小さな自分のちっぽけな存在であることをまず受け入れなくてはいけない。
ゼロからのスタートだと言い聞かせて移籍後はかなり稽古しました。
昔の私をご存じの方はだいぶ演奏が変ったと思ってくださってると思います。
とにかく必死でした。
現代は自己受容、自己肯定感の高め方、コーチングなどを通して己を見つめる方法やプロセスは昔よりも多く存在しています。
私は江戸時代からこのような自己受容、自己対話のツールがあったこと、そしてそれに携わらせていただいていることを大変誇りに思うとともに改めて琵琶に恥じない生き方をしたいと思っています。
強くありたい。でも弱さを見せてはダメ!…ではない。
これはここ1年で私が学んだことです。
去年までは自分は琵琶をやる資格はないと泣いて、本当に琵琶をやめようと思ったことですらも誰にも言えずに隠していました。
己を見つめるなんてことをしなければ、自分の存在の小ささなどは気にせずにただ「楽しい」「好き」という感情でできたのかもしれません。
ですが、私は琵琶を通してずっとこれからも自分と向き合っていきたいと改めて決意した次第です。
未熟者ではございますが、応援していただけると幸いです。
また、私がこうありたいと思っているだけなので、お弟子さんやその他の演奏家の方にそうすべきだと押し付ける気は毛頭ありません。
ただ、私が感じている琵琶「道」はこうであると思うと共に、新年に記しておきたいなと思い、久々にブログを更新しました。
今年は5月7日日曜日に、青山の銕仙会能楽研修所にて「第3回水島結子の会」を開催いたします。
ゲストに、同じく若手芸能研究者でもあり友人でもある活動弁士の麻生子八咫をゲストにタイムトリップした琵琶と無声映画と活弁のコラボをお楽しみいただきたいと思います。
今年も何卒よろしくお願い申し上げます。