伝統芸能や和楽器は「誰でも簡単にできて親しめる」ものなのか?

こんにちは。びわ@ゆんころ(です)。

 

日本の芸能や和楽器は親しみやすいものですよ誰でも簡単に始められますよ、という謳い文句について考えます。

 

先日、このようなツイートをしました。

最近は初心者歓迎!と謳ってる教室も増えているよね
伝統芸能を広めるためには裾野が広いほうがいいんじゃないのかなぁ?

 

びわ@ゆんころ
もちろん、教える側も最大限努力しますし、初心者歓迎です!
うちの教室は琵琶のレンタルもあるのでその辺は頑張って整備しているのですが…正直にいうと、琵琶を含む和楽器は全然簡単じゃないから私は簡単ですよとは言えません…
もちろん広めたいけど嘘は言えないですもん💦

 

この記事は、伝統芸能や和楽器のネガティブなことを言いたい記事ではありません。

 

 

伝統芸能を学ぶことはものすごいおすすめだし、人生にいい時間を与えてくれると主張したいけど、簡単だよ!誰でもできるよ!と正直に言えないことについて深堀りしていきます。

 

和楽器は親しみやすくて誰でも簡単にできる楽器なのか?

1結論:伝統芸能や和楽器は抽象的でわかりにくいものである

正直に申し上げると、伝統芸能や和楽器は、「わかりにくい」です。

 

では、どんなふうに分かりにくいのでしょうか。

琵琶の場合で考えましょう。

 

 

薩摩琵琶の場合、七五調の定型文で歌詞が構成され、歌い出しは全体の抽象的な言葉で表し、本歌は高らかに歌い上げて登場人物紹介から始まり、事件勃発して戦いがあったり、心の葛藤があったり…そして最後はまた抽象的な表現で終わる…という決まった形をとっています。

 

毎回パターン化されていてつまんないなーと思うかもしれませんが、定型文のなかでいかに内容を伝えられるか、少ない弦とフレットという、限られた音数のはざまでどう表現するかというところに深みがあり、個々人の曲の解釈により演奏も変わってくるところに面白みがあります。

 

 

琵琶などの語り物の芸能の場合、わかりにくさを助長していえるのは下記です。

・歌詞が古語

・扱っている題材が歴史もの(歴史を知らないと意味がわからない)

・引用している歌詞の元があったりして、それを知らないと理解ができない演目がある

 

現代人は、洋楽を聞いて歌詞がわからなくてもイライラしませんよね。

 

リズムやメロディが好きという理由で聞けるからです。

 

しかし、伝統芸能の場合決まったリズムが流れ続けているわけでもなく、歌詞も日本語なのにわからない。

 

この、「日本語なのにわからない」というものがわりとクセモノです。

 

 

日本人なのに日本語が聞き取れない=理解できないものはつまらない、と瞬時にキライ!という判断を下す人をたくさん見てきました。

 

「歌詞を現代語にしたらいいよ」とか「人と差別化をするならわかりやすい歌詞のポップスをやりなよ」的なアドバイスもたくさんいただきます。

 

たぶん、そういうアドバイスは総じて「聞いてすぐに理解できないこと歌われるのは聞いててキツいから、わかりやすい現代語でやれよ」という意味なんですよね。

 

でも、ちょっと考えてほしいのですが、すぐにわかることってそんなによいことですか?

 

聞いてすぐにわからない芸能は、価値がないものでしょうか?

 

2伝統芸能や和楽器など、わかりにくいもの=悪なのか

わかりやすいものは善で、わかりにくいものが悪という単純な二元論ではないと考えます。

 

ちょっと哲学的ですが、「聞いてすぐにわからないものが悪でダメである」という単純な判断は、そこで思考停止になります。

 

「あれはどういう意味だったんだろう?」「あれが例えているものはなんだろう?」などの疑問が生まれてくることは、悪いことではなく、自発的に調べてみるきっかけをくれると考えられないでしょうか。

 

 

わかりやすく、単純化されたもの、一発で聞いてわかるものは多くの人々の支持を得ます。

 

短時間のCMなどは「一瞬で判断でき、誰でもわかるように作れ」といわれます。

私が新卒で入社した広告代理店では「キャッチコピーは偏差値30でもわかるように作れ(今思うと超言いかたがひどい)」と指導されました。

 

しかし、和楽器と向き合う時間は下手したら一生です。

 

短期間ですぐに答えのわかるものではありません。

 

もちろん答えはひとつではありませんし、一生答えがでないものもあるかもしれません。

 

一生かけて取り組むものを単純に「わかりやすいから良くて、わかりにくいからダメ」なものと判断してしまってよいのでしょうか。

 

その二元論で解決できるものの多くは、誰かの思惑や意図が入り込んでいる可能性も高いです。

 

簡単だよ、誰でもできるよ、といいながら高額商品を売りつけたりする販売方法とかですね。

 

二元論で語ったり、わからないからキライ、価値がないとすぐに決めつけることや、「これはこうだよ(断定)」と言われたものを受け入れた方が、疑問を抱いて解決していくよりもラクなのです。

 

でも自分で考えることは素晴らしいことではありませんか。

 

だからいいますが、伝統芸能は聞いてすぐに理解できません。

 

古語や古典文法も多く使われていますし、専門用語、背景知識なども必要です。

 

日本語なのに、聞いても理解できないからイライラするなーとか、なんでこんな古臭いものを!と怒りをあらわにする人までいます。

 

しかし1回見聞きして終わりという考えではないので、何度も何度も繰り返して見聞きするのを前提にするとそれほど苦ではないのではないでしょうか。

 

3伝統芸能界隈において「誰でも歓迎!簡単です!」と言わざるを得ない理由

単純に、やっている人が少なく、(できれば若い人に)やってほしいから誰でも簡単にできますよ!と裾野を広げるように誘ったり、そのように見せたりしている現状があります。

 

そりゃあ、自分の芸能が滅びるのは嫌ですし、琵琶をやりたいんです!といって訪ねてきてくれる方は嬉しいですし、なるべく力になりたいと思います。

 

でもだからといって、簡単か、誰でもできるか、練習しなくてもできるか…と言われたら正直「NO」です。

 

伝統芸能指導者が実は発信しにくいことTOP3は以下じゃないでしょうか。

 

・学習内容が簡単ではないこと
・なかなか上達しないこと
・楽器を買わないといけないこと

 

なんとなく、初心者の方や教室を探している方はこの3つのことを言われるのは察しています。

でも新しいことを始めて心配なことがこの3つでもあるんですよね。

 

楽器は初めの方は買わなくても大丈夫ですが、家で復習したり演奏会に出たりする場合はどうしても必要になります。

 

最初は買うのは大変ですが、まぁいつかは(稽古が続けられるようだったら)買うつもりで教室に来るはずです。

 

だけど、教える側はなぜか「言いにくい」んですよね…

 

楽器の値段や買うシステムだったりするのですが。

(琵琶の場合は新品だと50万円、現金一括払い、紹介じゃないと買えない)

 

このシステム的なものが不自由なため、言いにくいというのはあります。

そのあたりのことは、薩摩琵琶に関しては値段をまとめてあるので、そちらをご覧ください。

正直なところ、琵琶は言葉もわかりにくいし、上達も難しいです。

 

いや、19年やり続けてもめちゃくちゃ課題が満載です(笑) 満足した演奏なんてできません。

 

夢も希望もないことを言ってしまいましたが、徐々にできることが増えると、自分の期待値もあがりますからね。

 

これは琵琶に限ったことではなく、もっともっと、という人間の欲望ですね。

 

私が研究対象にしている『琵琶新聞』(明治42年~昭和19年に発行された、薩摩・筑前琵琶の情報誌)にも「琵琶は難しい」「教養がないとできない」とハッキリ記されています。

 

昭和初期あたりから、急に詩吟の流派が琵琶の流派から独立をしだしますが、その人たちが詩吟に移った理由が

「琵琶は難しいし、モノになるまで時間がかかりすぎる」

「歌だけをやりたい」

「琵琶を買うのが金銭的に負担」

わ~悩みはいつの時代も同じ

という理由だったので、昔から楽器の値段と上達の難しさは変わらないのだなと感じています。

 

戦後に琵琶が廃れた理由も、アメリカ音楽の流入、戦後は生きていくのに必死で琵琶どころではなかった…ということに関連して楽器が難しすぎる&高すぎるという理由もあると個人的見解で思いますね。

 

ひとりで歌も、楽器もやるというのは結構大変です。

 

 

5それでも私は琵琶が好きだし、人生をかけている あなたも打ち込める楽器だと伝えたい

私個人の話で恐縮です。
私は昔から、ちょっと変わった子供でした。

誰にも理解してもらえない、自分の居場所がないといつも思っていました。

 

でも、琵琶に出合って、居場所は自分のいる場所だ、と気付きました。

琵琶は私の性格のダメなところをたくさん突き付けてきます。

 

・とりあえず、何も考えずにやってみよう
・こんな感じかな?(テキトー)
・やる気がない時はやらないでいいや

 

そういうダラけた根性に対して徹底的にダメだしをされました。

 

考えなしに、稽古の復習もしないでぼーっと過ごしてごしているとあっという間に歌も琵琶もできなくなる
成長なんて感じられないほど、伸びているかわからない状態で少し休むと、大幅にできなくなる
適当に琵琶をやることは、流派にたいして失礼

 

なんてことを琵琶を通して学び、居場所なんてものは空想なんだなと気付いたのです。

 

琵琶をやっている時間は自分と対琵琶のみであるということ、琵琶を弾いてダメな状態こそがいまの自分だととりあえず認めなくてはいけないこと…

 

改めて…

正直めちゃくちゃ精神的にキツいです(笑)

 

初心者歓迎!誰でも出来る楽器だよ!なんて簡単には言えません。

 

けれど、私は琵琶をやり続けます。

 

薩摩琵琶は己を見つめるツールとなってくれることを伝えていきたいです。

 

自分の本性や、ダメなところを直視して修正していく作業(稽古)は、ツラいときも多いです。

 

でも、楽しさや嬉しさは日々やり続ける中では生まれますからそれは安心してください。

 

簡単ではないけれど、やりたいことがない人や、自分とはどんな人なのか分からない、という人にぜひやってほしい楽器です。

 

琵琶のネガキャン(よくないことばかり言っている)みたいに聞こえるかもしれませんが、自分を常に見据える、自分の状態が芸にすべて出るというのは、よく考えなくてもキツいです(笑)

 

そして、独奏だから華やかではないです。

華やかに盛ろうとしたとたん、陳腐な感じになるので自分を出し過ぎてはいけません。

 

舞台に出るのに、自分を出し過ぎないというのも修行です(笑)

 

なんて武士の鍛錬にぴったりの楽器なのか(笑)

 

でも、自分をしっかり見つめることは仕事でもなんでも絶対に通る道です。

 

そこから逃げるか、逃げないかは自分次第。

 

 

私の中では琵琶と向き合っていくということは、多くの楽曲が弾けるとか上手く弾ける、が自分の中では最重要事項ではなく。

 

・鶴田錦史先生(宗家)は、どうしてこの楽曲をこう演奏したのか?
・この楽曲が存在し、歌われていた背景は?
・この曲を極めることで、自分のどの弱点が克服できるか?
・琵琶が最も鳴る状態はどうしたら作り出せるのか?
・琵琶はなぜこのような形、素材なのか?
・琵琶の魅力はなにか?その魅力をどうやって伝えていくか?

べべん~🎵

など琵琶に付随することを熟考する、ということに重きを置いています。

 

上手く弾きたい、人より優れていたいという気持ちよりも琵琶のいいところをどうやって伝えられるかな?ということを常に考えています。

 

繰り返しになりますが、和楽器は簡単ではありません。

簡単でないけれど、一生自分と向き合えるという習慣や、楽器を通して自分の思考の軸を作ることができます。

 

琵琶だったらどうだろう?三味線でこれをやったらどうだろう?尺八で吹ける曲じゃないかな?など、常に自分がやっている楽器の軸をもつことは、かなりのメリットになります。

 

自分の軸を琵琶で作れる。

 

世界を、物事を「琵琶」からの視点で見ることは、割とメンタルを強くする助けにもなっています。

 

なぜなら、自分の大事な軸にそむく行動はすまい、と自制がきいたり、「琵琶だとどうだろう?」という思考のきっかけをくれることが多いからです。

 

初心者歓迎!でもちょっと難しいけどよろしくね!と思いながらビワビワ活動を続けたいと思っています。

 

できれば、生で見ていただいて色々質問してくださると嬉しいです。

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